「創業の精神」を受け継ぎ、
「現存する日本最古のリゾートホテル」としての伝統を
「日光金谷ホテル」「中禅寺金谷ホテル」
二つのホテルでお楽しみいただけます。
歴史 歴史が紡ぐ金谷ホテルの物語
黎明期
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東照宮の楽人「金谷善一郎」、ヘボン博士を自宅に泊める
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ヘボン博士の勧めにより、四軒町(今の日光市本町)の自宅の一部を「金谷カッテージ・イン」として、外国人向けの宿泊施設として開放東照宮の楽師をしていた金谷善一郎が、ヘボン式ローマ字綴りを考案したアメリカ人、J.C.ヘップバーン(ヘボン)博士の知遇を得て、自宅の一部を外国人の方の宿泊施設とした「金谷カッテージ・イン」を開業したと伝えられています。これが「金谷ホテル」の始まりです。当時の日本には長期のバケーションといった慣習も、リゾートという概念も、ましてや洋食(肉食)といったものすらない、そんな時代にホテルとして歩み始めました。
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イザベラ・バード、来館ヘボン博士の紹介によって「金谷カッテージ・イン」に訪れた英国人旅行家イザベラ・バード女史がつづった「日本奥地紀行」や、当時の在日英字新聞などで紹介されるや、「金谷カッテージ・イン」は「日本のリゾート避暑地=日光」のホテルとして、地位を確実なものとしました。
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現在地に金谷ホテル(本館)を開業(2階建て30室)
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高級食器保存のため土蔵を作る
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新館落成(1階に大食堂(現在のバンケットホール)、2階に客室10室)
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電話に加入(日光1番)
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自家用水力発電所を設置(ドイツシーメンス社製)
発展期
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金谷善一郎の長男「金谷眞一」、横浜でフォード車を購入。
ボイラー室設置。客室給湯、スチーム暖房開始 -
ホテル内スケートリンク設置
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竜宮(観覧亭・展望閣)建設
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畜産部を設置。牛乳、バター、野菜などの自給
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別館落成(3階建て24室)
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本館を改造、地面を掘り下げて3階建てに
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プール新設
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日光観光ホテル(現在の中禅寺金谷ホテル)開業
戦中戦後
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日光金谷ホテル、日光観光ホテル、米軍に保養所として接収される
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米軍接収下の日光観光ホテル全焼、のち再建
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日光金谷ホテル接収解除、一般営業開始
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日光観光ホテル接収解除、一般営業開始
現代
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第二新館落成(5階建て16室)
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日光観光ホテル、中禅寺金谷ホテルに改称
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発電所廃止
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金谷ホテルの製菓、製パン部門が分社独立
(現:(株)金谷ホテルベーカリー) -
中禅寺湖畔にコーヒーハウス「ユーコン」を開業
中禅寺金谷ホテル敷地内に温泉浴室棟を新設 -
中禅寺金谷ホテル建て替え落成
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創業130年を機に、百年カレーや大正コロッケットなど
古いメニューをいくつか復刻 -
中禅寺金谷ホテルの温泉棟に露天風呂(空ぶろ)を増設。
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日光金谷ホテルの本館、新館、別館、竜宮が
国指定登録有形文化財に登録 -
日光金谷ホテル、耐震補強及び内部改装工事の実施
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日光金谷ホテル、近代化産業遺産に認定
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中禅寺金谷ホテル「空ぶろ」温泉棟を建て替え
メッセージ
金谷ホテルは、明治から、大正、昭和、平成、
そして令和の現在まで、
ホテルを支えてきた沢山のスタッフの想いを
今に伝えながら、
その中から新しい文化を発信する場としての
ホテルを目指しています。
金谷ホテル歴史館
金谷ホテル創業者金谷善一郎は1873年に「金谷カッテージ・イン」を開業。
現在地に拠点を移すまでの約20年間、純日本風の建物の中で多くの外国人客をもてなしました。 江戸時代には武家屋敷であったことから通称「金谷侍屋敷」と呼ばれた建物は、宿泊施設としての役割を終えてからも120年以上同じ場所に大切に保存されてきました。
2014年4月に国の登録有形文化財になり、補強・修復工事の後、「資料展示室」を伴う「金谷ホテル歴史館」として、2015年3月一般公開がスタートしました。
現存するなかで日本で最も古い西洋式リゾートホテル発祥の地としての文化遺産的な価値だけではなく、武家屋敷の様式をそのまま残す建築遺産としても価値のある建造物です。