59:宿泊者の記憶 / アインシュタイン

当ホテルの宿帳は、様々な歴史の記録にも当たります。
その中には、物理学者であるアルベルト・アインシュタインの名前もあります。


1922年(大正11年)のことでした。
この年の末に日本を訪れ、約1ヶ月半にわたって日本各地で講演しました。
その旅程の中で当ホテルにも夫人共に宿泊しています。

ちなみに、この時日本へ向かう最中の11月9日にアインシュタインはノーベル物理学賞受賞の知らせを受けています。

日光滞在中、こんなエピソードが残されています。



博士(アインシュタイン)は常に徒歩を好まれる。日光の町をホテル(金谷ホテル)まで歩くうち、特に博士が立ち停まったものを列記する。
一膳飯屋の鯛の看板。八百屋の大根。子供の羽根つき、銀行。
銀行の前ではわれらの耳に口を寄せて「日本の銀行の前にはきっと植木が植えてあるね」。
けだし、普通の外人には穿ち得ぬ微細な評である。

(金谷ホテルの)食卓に於ける博士は誠に素直で愉快なおじさんだ。夫人の選ぶ食べ物も黙って食べる。
上品で無邪気な冗談を連発する。

晩餐の卓へ博士は宇都宮名物玩具の小瓢箪を持って出た。
そしてその中へ水を入れ、面白そうに飲む。瓢箪で飲むのは酒呑みですよと言うと、わざと夫人の手前をはばかるような顔付を大袈裟にしてあわててポケットへしまい込む。

一同東照宮見物。まず貴賓館で宮司の説明を聴き、さて霊廟に入る。
あるお宮に巫女が坐っている。これが博士の好奇心を牽いた。彼女の労働時間を訊く。いわく8時間。巫女の労働時間を調べたのは奇抜だ。

鳴き龍というのが名高い。天井に描きある画龍の顔の直下に立って掌を拍くと、天井にてからからと鳴くのだ。
「音響の作用だろう」すこぶる簡単に済ます。
博士に対しては名物も価値変動を行わしめる。

(日光東照宮の)参拝の人を見て「この多くの人々は宗教心から詣るのか、見物のためか」と問いを出す。大部痛い問いである。

見物終わり門を出ると、一隊の女生徒を率いて小学校の先生が待ち受けていた。先生は直立不動の姿勢にて元気よき英語の暗誦口語「私ハ貴下ヲ見ル事ヲ悦ンデアルー」から始めた。
その間に博士は莞爾(かんじ)して自分の帽子を脱いで一人の生徒にかぶせたりして愛す。他の生徒達はドッと笑う。かぶされた生徒ははにかんで泣顔になる。
この女生は当分博士の帽子をかぶったことによって学校中の評判になろう。


「アインシュタイン講演録」(石原純・著/岡本一平・画)東京図書

※一部抜粋。一部括弧書きにて補足。



独特の視点で日光を訪れていたことが窺えて面白い記録ですね。
鳴き龍を物理の視点で感想を述べている点も「らしさ」があります。