45:畜産部 Livestock Department

1926年(大正15年)、ホテルから1㎞ほど離れた小倉山に畜産部がつくられました。
In 1926 (Taisho 15), a livestock department was established on Ogurayama, about 1 km from the hotel.

金谷ホテル畜産部ではホテルで使用する牛乳の安定供給を目指し、金谷のフレッシュミルクはお客様に喜ばれました。また日光市内に販売所も作り、日光市民への販売もしました。
戦中の食糧不足の時は町の病人や子供たちが少しでも多く牛乳が飲めるようにと、牛の飼料集めに精を出したという記録もあります。

 牛乳が安定して作られるようになると、バターやクリーム作りも始めます。ホテルで製菓製パンを担当していたコックと研究を重ね、ホテルで使用しました。

 また野菜作りも行いました。 なんと、マッシュルームの栽培も行っていました。

金谷ホテル畜産部ではホテルで使用する牛乳の安定供給を目指し、金谷のフレッシュミルクはお客様に喜ばれました。また日光市内に販売所も作り、日光市民への販売もしました。
戦中の食糧不足の時は町の病人や子供たちが少しでも多く牛乳が飲めるようにと、牛の飼料集めに精を出したという記録もあります。

 牛乳が安定して作られるようになると、バターやクリーム作りも始めます。ホテルで製菓製パンを担当していたコックと研究を重ね、ホテルで使用しました。

 また野菜作りも行いました。なんと、マッシュルームの栽培も行っていました。

金谷ホテル畜産部ではホテルで使用する牛乳の安定供給を目指し、金谷のフレッシュミルクはお客様に喜ばれました。また日光市内に販売所も作り、日光市民への販売もしました。
戦中の食糧不足の時は町の病人や子供たちが少しでも多く牛乳が飲めるようにと、牛の飼料集めに精を出したという記録もあります。

 牛乳が安定して作られるようになると、バターやクリーム作りも始めます。ホテルで製菓製パンを担当していたコックと研究を重ね、ホテルで使用しました。

 また野菜作りも行いました。なんと、マッシュルームの栽培も行っていました。

The Kanaya Hotel Livestock Department aimed to provide a stable supply of milk for the hotel, and Kanaya's fresh milk was well received by guests. They also set up a sales outlet in Nikko to sell to the citizens of Nikko.
There are also records that during the food shortages of the war, they worked hard to gather feed for the cows so that the sick and children in the town could drink as much milk as possible.

Once they were able to produce a stable supply of milk, they began making butter and cream as well. After much research with the hotel's chef in charge of confectionery and bread, they began using the products at the hotel.

The livestock department also grew vegetables.
They even cultivated mushroom


【関連項目】
44:大正コロケット