41:大黒様

当ホテル内の某所に、木彫りの大黒様が鎮座しています。
また、裏山の「大黒山」にも大黒天が祀られており、それにはこんな不思議な謂れがございます。


以下、二代目社長である金谷眞一の著書から引用してご紹介いたします。



明治三十二年頃と記憶する。私は朝早く起きて、ドンドン焼に行った。ドンドン焼とは、正月十四日に、その年の松飾りを集めて、河原で焼くこの土地の習慣で、現在でも行われて居る。
前夜降った雪が、二、三寸まだ残って居る。朝早いので、雪には足跡がそんなについて居ない。
私はその雪道を、御用邸の下の河原に入った。そうすると雪の中で、私の足先に「コトン」と音がして触ったものがある。
拾い上げて見ると、それは小さな木彫の大黒天である。
正月早々縁起の良いものを拾ったものだと思って、懐に入れて持ち帰った。そしてよく調べて見ると、後側に「日光仮橋双三枚目ヲ、大仏工高松得之輔之作、安政七年庚申正月二日、木幡明神社内ニテ新ニ彫刻ス」と書いてある。
私はこれを私の室に飾って置いた。
(中略)
父が「正月早々大黒天が転がり込むとは、芽出度い限りである」と云うので、神棚に祭った。そして後に厨子(ヅシ)を作って、これに納めた。
この厨子は丁度従業員が通る廊下に面してあった為、いくら大黒天の向きを直して置いても、お客が多くなって、従業員の通り方が烈しくなると、その振動で山の方を向いてしまう。
理論的に考えれば簡単であるが、物が大黒天である為、多分に信仰的感情が入って来て、大黒様はお山が好きだと見える、だからお山にこれを祭る方がよいと言うこととなって来た。
そこで父と相談して、白河の叔父に頼んで、石の厨子を作って、これを裏山に安置して、この山を大黒山と名付けた。

「ホテルと共に七拾五年」金谷眞一・著

— 


眞一が「ドンドン焼きの雪の朝に大黒様と出会った」ということが、日光周辺で現在でも続く祭りや慣習が往時(明治期後半)も大切なものであったことを思わせると同時に、大黒様が豊穣や繁盛をご利益とする神様であったことも、一層偶然で不思議なものに映ります。

(この木彫りの大黒様は非公開です。)

【関連項目】
12:大黒参り