122:宿泊者の記憶 / ベーデン・パウエル

ボーイスカウトの創始者として有名なベーデン・パウエルも、来日の際に当ホテルに宿泊しています。

1912年(明治45年)4月3日。同日のゲストブックにサインが残っています。
イギリス・ロンドン生まれの氏は、1907年に実験的なキャンプ活動を行い、それを元に隔週発行の雑誌を創刊しました。これがベストセラーとなって、少年たちが自らボーイスカウト活動をはじめたのが始まりとされています。
1907年は日本(和暦)では明治40年にあたります。
小学校令が改正されて、小学校が義務教育6年制になりました。また、仙台に東北帝国大学が設立され、二代目社長となる金谷眞一が青春時代を過ごした立教学校が立教大学になった年でもあり、教育関係のトピックスが目立つ年だったように感じます。
奇しくも、この年に夏目漱石は教壇を去り、職業作家として歩みはじめます。

話をここから5年後の氏の来晃の頃に戻しますと、この来日はボーイスカウト活動の普及のためのものだったようで、他にも世界中を飛び回っていますが、日本での講演活動は横浜での1回のみ。
日光でも東照宮見物をしたようで、他国よりは少しリラックスした旅だったのかもしれません。
「(武士道精神が浸透している)日本ではボーイスカウト活動は必要ない」とインタビューで語ったといいます。
ちなみに、氏の4月の来晃から3ヶ月後の7月には明治天皇が崩御。「大正」に改元となりました。

ボーイスカウト活動は、キャンプやハイキングなどの野外活動を通じた教育として、日本でも昭和・平成初期までは特に隆盛をみせ、日光においても多くの団が活動をしておりました。
学校の部活動と掛け持ちで活動をする少年・少女も珍しくなかったようです。
活動のモットーは「そなえよつねに」です。
今も、そして今後も長く響く言葉ではないでしょうか。

【関連項目】
112:宿泊者の記憶 /ルー・ゲーリッグ
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100:宿泊者の記憶 / ヘレン・ケラー
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89:宿泊者の記憶 / 池波正太郎
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59:宿泊者の記憶 / アインシュタイン
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72:宿帳
宿帳