113:三十六歌仙の扁額
バンケットホールの両側には、ずらりと扁額が並んでいます。
三十六歌仙のうち、半数の十八人の姿と和歌が並びます。
ヘリンボーンの床など「洋」の設えもある中、この扁額や衝立などが「和」の雰囲気を引っ張っています。
和洋折衷がここにも。
日光東照宮には江戸初期の三十六歌仙の画が残されており、それらは狩野孝信の手によるものとされています。狩野探幽の先代、父にあたる人です。
当ホテルのものは作者や経緯が不明ですが、その東照宮の流れで、館内の彫刻類と同様に主に海外からのお客様に向けて「和」に親しんでいただくための工夫の一つだったものと思われます。
ところで、三十六歌仙の中には日光に関係のある詠み人がいますが、誰かわかりますか?
残念ながらバンケットホールに飾っている中の人物ではないのですが、「猿丸大夫(さるまるのたいふ)」です。
猿丸大夫は、その祖先が小野猿丸だともいわれています。
この小野猿丸は弓の名手で、日光山と赤城山の神戦(の伝説)において日光山(なんたいの神)に加勢したことによって日光山が勝利したという大活躍ぶりが今に伝えられています。
さて、猿丸大夫は次のような句を詠んでいます。
「奥山に もみぢふみわけ鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき」
出自や生没年等、現在でもなお不明な点が多い人物とされていますが、ひょっとすると、この句の「奥山」の情景は日光の山々を指しているの…かもしれません。
ちなみに日光の山の中では鹿を目撃する機会が非常に多く、まちなかでも秋の夜中に鹿の鳴き声が響くことがあります。
三十六歌仙それぞれの扁額を眺めながら、そんなロマンに浸ることもできます。
【関連項目】
35:バンケットホールの床
バンケットホールの床